胸いっぱいの愛を~でぃぐにてぃの8か月~

スポンサーリンク
雑記

 令和2年8月から令和3年3月まで、東京都新宿区にある「でぃぐにてぃ」で、週に2~3回仕事をする機会に恵まれた。そのことを、書き記したいと思う。

スポンサーリンク

そこに至る、きっかけ

 前に勤めていた会社について、様々な理由がありこのまま勤務を続けるか否か悩んでいた時期に目に留まった吉田さんのTwitter。「でぃぐにてぃで経理募集!」という内容のツイートに、ほんの軽い気持ちでリプライをした。令和2年の6月下旬のことだ。すぐにリプライが来て、またしばらくあとに直接ダイレクトメールをいただいた。そして、zoomでの面談を経て、ある日電話がかかってきた。それは、「明日から来れる?」という驚きの電話だった。暑い夏の日、その「明日」は偶然にも8月1日であった。

 実は、私は7月30日をもって前職を退職することになっていたため、このタイミングの良さに運命を感じ、二つ返事で明日から伺う旨を告げた。そのとき、私は近所を散歩していたのだが、すごく緊張したことを今でもよく覚えている。

 さらに、私はでぃぐにてぃで勤務する上で、いくつかの条件を告げていた。吉田さんは、その条件について快く理解をしてくれた。当時の私の中に、捨てる神あれば、拾う神ありという言葉が頭の中を過った。その条件は、週の勤務時間を一定時間に抑えること、事業立ち上げをするため、3月には退社をすること、であった。


 そして、私のでぃぐにてぃでの勤務がスタートした。期間限定のスタートである。でぃぐにてぃで働きながら、自分のやりたい福祉の会社、事業をやるための期間。自分で3月末で退社という期日を設定したので、それまでになんとか形を付けようと決めた。

はじまりは、ここから!このツイートはスクショして永久保存です!

スポンサーリンク

2つの初体験

 さて、こうした経緯ではじまったでぃぐにてぃの勤務であるが、私にとって二つの初体験があった。そのうちの一つは、「既存の組織に入って働くこと」で、もう一つは「利用者支援以外の仕事をすること」であった。前者に関しては、非常に珍しいことなのかもしれない。今まで15年以上福祉の仕事に携わっていたわけだが、新規立ち上げの会社にいたことしかなかったからである。しかも、ただたまたま立ち上げの会社にいたわけではなく、有志の中の一人として立ち上げを経験したことしかないというものであった。つまり、出来上がったものに後から入っていく経験をしたことがなかったのだ。

 後者は、「でぃぐにてぃで経理募集!」という冒頭のフレーズにもあるように、私は経理部として採用されたからである。利用者支援以外で福祉の会社に携わることがあるなんて、今までは夢にも思わなかったわけだが。

 私の経歴を知る人にとって、この事実は少し違和感を覚えるかもしれない。「なぜ、経理なのか」と。後述するが、吉田さんのツイートにリプライを飛ばしたその日その瞬間、すごく簡単に述べると利用者を支援する支援員として、とある理由で自信を失っていたからだろう。だから、「経理」というフレーズに反応し、ある意味では「逃げ」の一手としてリプライを飛ばしたようにも思う。福祉業を営む会社の経理にしがみつく自分も滑稽に思ったが、吉田さんはそんなこともなんとなくわかっていたように思う。それ込みで、受け入れてくれた気持ちに今も盛大に感謝なのだ。

スポンサーリンク

株式会社でぃぐにてぃ

 社員の平均年齢が若いこと、代表の吉田さんが障害を持つ当事者であること、何か刺激的なことをやっている会社。以前からそんなイメージを持っていたが、それらはやや間違った認識であると知った。いや、どれも事実であるのだが、何か少し違う。この謎は未だ解明できていないが、何か一本筋が通っているような、例えばどの社員でもどの業務でも行為でも、サクッと切り取ってみると正真正銘のでぃぐにてぃ印が現れるような。その「でぃぐにてぃ印」が、至るところにあるような気がしていて、それは吉田さんの力だけではないことも知った。あと、その「でぃぐにてぃ印」は金太郎飴みたいにみんな同じではなく、少しづつ異なっているのだけれど、それでもOKみたいな。なんだこの説明、わかりにくいったらありゃしない。でも、そう感じたのだから素直に書いておこう。

 これは、経理として事務所にずっといるから感じられたことだと思う。訪問介護の事業所なので、社員の出入りは激しい。外の空気、現場の感覚をなんとなく感じ、私はいつも考えていた。そして、退社するその瞬間まで、「でぃぐにてぃの一員」でいられた。

 もう一つ、でぃぐにてぃのすごいところは出入り口の扉が軽いことである。力はいらない、気負いもいらない、少しコツを掴めば力を入れなくても開けることができる。これはもちろん例えであるが、その「扉の軽さ」というのは、「開けにくい重い扉」を知る人ならすぐにわかる例えだと思う。そう、とっても入りやすいんだ。自分がそこにいても、不自然じゃないって思えるんだ。これって、地味にすごいことなんだよ。

スポンサーリンク

人助けの時間

 でぃぐにてぃに勤務しているとき、ときたま「人助けの時間」というものがあった。なんてことはない、吉田さんが一服するための時間なのだが、その10分はなかなかにして密度の濃い時間だった。非常階段の暗いところでの一服。ある日はでぃぐにてぃの野望を、ある日は各社員のいいところ(これは全員分聴いた!吉田さんはみんなのいいところを見つけて話すのが好きな人だと思う。ご自身のことも同じくらい好きだろうけど!)を、またある日は経営者の孤独を。そして、ある日は私に「最近表情が疲れているような気がするね」と。その後、多くを語らず「そばの出前でも食べる?」と。

 いろいろ大変なことがあって、正直食欲がない時もあった。そんなとき、何故かタイミングが良く「出前のそばの日」に当たる。いや、これはコントロールされていたのか?そのそばが、また美味い。疲れに染み渡る。奢ってもらってラッキー!という以上に、何か自分の中で意味のあるものだった。

 人助けの時間の中で、吉田さんが放った一言。「正義の刃を向けることが必ずしも正しいとは限らないよ」これは、今の私の会社の危機を救った一言。実は、この話はうちの会社の社員にもしていて、みんなで勝手に感謝している次第。「小山さん、いい人に出会ったねぇ!」と。「高田馬場に足向けて寝られないねぇ」とも。

スポンサーリンク

再生の過程

 でぃぐにてぃでの8か月は、私が再び福祉の現場に戻るために必要な期間だった。じっくり自分と向き合う機会にもなったし、とてもいい刺激をもらうことも多かった。いろんなヒントもあったし、なんせすごく楽しく勤務ができた。

 当たり前といえば当たり前なのだが、必要とされている感覚を持つことができたこと、これに尽きる。結果、どんな仕事でも良かったのだと思う。当初は「経理」である自分に違和感を持ったが、「経理」でもなんでも、「でぃぐにてぃ」にいられたなら良かったのだ。

 書きたいことはまだまだあるが、今回はここまで。

スポンサーリンク

胸いっぱいの愛を

 でぃぐにてぃへの感謝を伝える手段として、自分にできること。これは、文章を書くことに他ならないと思ったため、こんな風に書いている。この文章は、章立ても構成も考えず、思うがままに書いている。まさに、ロックのライブのように、リアルタイムで変化する演奏のように。そして、一つ一つのフレーズに最大級の気持ちを込める。ちょうど、今部屋の中で鳴っている、有名なあのジミーペイジのリフに乗せて。

雑記
ケニー

福祉事業所にて、療育、生活支援、余暇支援など直接支援や、相談支援専門員など相談職の経験を積み、現在も福祉に携わっています。その過程で2校の通信専門学校へ通い、福祉の資格取得もしてきました。仕事と家庭生活の両立を目指しています。

また、複数の法人立ち上げの経験から、福祉職としての働き方や組織作りにも積極的に取り組んでいます。

ブログでは、資格取得の道のりや勉強のノウハウ、そして福祉職として働いていくためのマインドを発信しています!
勉強のちょっとした小技や役に立つこと、その他実際に私が体験したことなどをお伝えしていきます。

★ケニーをフォロー★
★記事をシェアしてみよう★
★ケニーをフォロー★
福祉の人材を「人財」にするブログ

コメント

タイトルとURLをコピーしました