はじめに
まず、「重度障害者」という言葉に語弊があるかと思いますが、わかりやすい言葉としてここでは取り上げます。個人的には、軽度・重度でその人の抱える困難さを図ることに違和感を覚えます。
ここで定義する「重度障害者」とは、社会生活を送るうえで、その既存の社会に適応することが難しく、なんらかの支援が必要な人の中で、特に自分の意思や想いを表現することが困難な方を想定しています。
もっと具体的に言うと、知的に重度な困難さがある児童や成人、発達に遅れがある故に意思決定に困難さを抱えている人を想像してみてください。発語がほとんどなく、コミュニケーションもなかなか取ることが難しい場合もあるかと思います。
そのような方たちにとっての、権利擁護・意思決定について考えていきます。
難しい話ではないので、気軽に読んでみてください。
意思決定とは?
例えば発語がなく、コミュニケーションも難しい方の場合、本人の意思決定はどのようにして行われるのでしょうか。私も施設で個別支援計画を決めるとき、また相談支援をやっていた時にはサービス等利用計画を立てるとき、この問題に直面していました。
結果、本人の意思を明確にキャッチすることができず、家族や周りの人の意見で支援計画などが決まっていたこともあったように思います。それを、「本人の意思」だと思っていたことも思い出されます。
しかし、これでは本人主体の意思決定ではありません。周りの人の意見が、本人の支援に反映されただけです。
さて、どうしたらいいのでしょうか。
ここで、私は以下の3つのことを考えていきたいと思います。
①本人理解について、決して諦めないこと
当たり前なのですが、これは重要なポイントです。施設の職員としても、相談員だったとしても、本人に対する理解を続けていくスタンスです。不断の努力とも言えますし、これは終わりがなく常にアップデートが必要な部分でしょう。
そのために、例えば知的に重度の障害がある自閉症の方がいたとしたら、その人に合った専門的な関わり方を知らなければなりませんし、そういった技術の向上が欠かせないでしょう。
②周囲からのアセスメントをしっかり取ること
これも当たり前ですが、意外と見落としがちです。特に施設にいると、施設の中での本人の意思のみに着目しがちですが、それでは不十分です。生活全般を見渡した時、本人を取り巻く周囲の環境に対して、本人がどのように振る舞っているか知ることが大切です。
そこに本人の意思が見えたら、それは本人が求めていることなのかもしれません。そういった材料を集めて、本人の意思というものを推測して、そして本人に対して確かめていくという過程が必要になるかと思います。
数々の証拠から、犯人を捜していく推理小説のような過程ですが、ここはあくまで本人の意思の予想に過ぎません。要は、仮説を立てて、それを実証していくことが大事なことで、先に挙げた「①本人理解について、決して諦めないこと」とセットで考えられます。
③選ぶ価値のある選択肢を設けること
これも当たり前ですが、その選択肢は「何かを諦めた先にある選択肢」ではなく、無限の可能性がある未来を選び取る選択肢でありたいと思います。
具体的に言うと、例えば本人が希望していたとしても、「重度の障害があるから独り暮らしは難しい」という諦めの前提の元導き出された選択肢である「施設入所」と「グループホーム入所」があったとしたら、本人がその二つの中から選ぶ価値があるのかどうか疑問でしょう。
この選択肢の提示は、支援者の自己満足にも陥りがちです。選択肢を提示したことや、選んでもらったことだけで満足しているだけでは、やはり不十分だと私は思います。
最後に
意思決定支援をすることは、その人の権利を擁護することにも繋がりますが、気を付けなければならない点もあります。
今回は「重度障害者」ということでお話をしました。その中で、意思決定をするために本人の理解をすること、そして関係者へのアセスメントを欠かさないこと、そして選択肢を提示することが大事だとしましたが、その3つのどの項目においても、本人の深い部分に入り込まないと得られないところがあることが重要な視点です。
つまり、意図せず本人の持つ個人情報や知られたくない秘密を知ることもあるということで、その扱いに気を付ける必要があるということです。
したがって、意思決定と個人が抱える秘密や個人情報について、十分に留意して、意思決定支援に携わりたいと私は思っています。