はじめに
今回は、福祉・介護職はどのような経験を積めばプロと言えるのか、考えてみたいと思います。このことを考えるきっかけは、私がこの仕事をはじめたときに、先輩に『この仕事は10年やって1人前だからね』と言われたことでした。
正直、当時も意味が分からない言葉だと思っていましたが、10年以上経ってもやはりわからないままでもあります。わからないながらも、『10年で1人前説』を検証してみたいと思います。
なお、私自身は今現在も『プロになった!』という実感はありません。反対に、『一生学びの連続だ』と思いつつも、自分の中に固い芯のようなものは出来つつあると思っています。
そのあたりを、紐解いていきたいと思います。
アマチュア?それともプロ?
この仕事をしていると、アマチュアなのかプロなのか、定義が曖昧なところがあります。もはや言ったもん勝ちみたいなところもありますが、どうでしょう。
また、私たちから見ても、この道30年のベテランの方がプロは思えないところもあるように、新人さんでも『おお、プロだなぁ』と思わされる場面もあったりします。
さらに、資格取得をされた方が福祉のプロかというと、それもそうでもないような気がします。
もちろん、中には素晴らしい介護技術だったり、支援技術を持っている方もいます。そういった方たちは、その素晴らしさがさりげなく、自分でプロということを公言したりもしないのでわかりにくい一面もあります。
今まで出会った中には、天然というか天才的な方もおられました。天性の支援力というかなんというか。
それで、その素晴らしさに気が付いた周りの人が『プロ認定』するような感じですね。そして、その素晴らしさに気が付くことができたことも、十分にプロの道に足を踏み入れている言えるかもしれません。
ますます、アマチュアとプロの定義がわからなくなりました。いっそのこと、福祉にはプロフェッショナルはいらないのではないか、とも思ってしまいます。
私の歩み~介護職としての悩み~
少しだけ、私が過去に思っていたことを書きます。
私はこの仕事を始めた当初、自閉症の方の就労支援をしたいと思っていました。イメージとしては就労の相談員のような感じでしたが、最初は障害のある方の介護をメインに行っていました。これに関して、実は少しだけ不満があったもの事実です。
『自分がやりたいのは相談援助なのに、なんで介護をしなきゃならないのか…』と。
実際、『10年1人前』なんて言われましたが、介護の仕事としては半年で慣れたような感覚を覚えました。つまり、1人前になったのではないかと錯覚していたのです。しかし、それは今思うとその施設のルーティーンに慣れただけだったのでしょう。
そんなとき、ある利用者さんと雑談をしていたときに、ハッと気が付きました。『これは、相談援助なのではないか?』ということです。つまり、身体介護を提供しながら、同時に相談援助もそこにある、ということです。
もちろん、厳密な意味の相談援助ではないのですが、『自分がやりたいのは相談援助なのに、なんで介護をしなきゃならないのか…』という疑問は、この気づきで晴れたことも事実でした。
きっと、私よりももっと意識の高い方や、学校で福祉を学んだ方にとっては当たり前の事なのかもしれません。でも、私にとっては大事な気づきでした。
そこから、日々の介護の中に隠れている『相談』に着目してみました。すると、本人の背景にある家族の問題や、制度の問題も意識するようになってきました。
この時点で、いち早く私が取り組んだことは、きちんとした介護技術の習得なのでした。
見よう見まねでやっていて1人前になったつもりの自分でしたが、今一度基礎を知りたい…そんな気持ちになっていたと思います。そして、日々の介護の中から『相談』を拾うためには、最低限の介護技術がないとならないのではないかという考えでした。
この考えは実を結び、以前よりスムーズな介護の延長上で、利用者さんとの会話も増えました。家族にも頼られることが増えてきて、お話をする機会も爆発的に増えました。『介護じゃなく相談を…』と不満に思っていた自分はもうおらず、その仕事に夢中になって取り組み、自信を持っている自分がいました。
この時点で導いた結論は、身体介護は身体の介護だけではなく、その人の心に触れる部分もあり、そして生活の困りごと、家族関係、制度の運用にも触れることがあり、相談援助の一部を十分に担っているという持論です。
この気づきは、実際の相談職(相談支援専門員・介護支援専門員)として働いたときにも大いに役立ちました。
ここで言いたいことは、何事も陸続きなのではないかということです。自分の今の仕事は未来の利用者さんの生活や、未来の自分の仕事に繋がっているということです。
そして、10年1人前説は本当かどうか
その後も、いろいろな障害福祉サービスの現場で働きました。施設で日中活動の支援をしたこともありますし、余暇活動を支援したこともあります。居宅を訪問し、入浴や家事援助も行いました。途中に相談職としても仕事をし、現在はまた管理者としてですが現場に戻っています。
その中で気が付いたことは、『サービスの切れ目は生活の切れ目ではない』ということです。つまり、自らが行っているサービスが、その利用者の生活の全てではないということです。
施設にいると、特に勘違いしてしまいます。当然、施設だけではなく週末の余暇、家に帰った後の過ごし方、そのほか私たちが知らない利用者の顔がたくさんあります。
先ほど『陸続き』という言葉を使いましたが、ここでも陸続きであることに気が付いたのでした。
陸続き…つまり繋がっているという感覚を覚えた時、目の前の視界が開けたようでした。感覚としては、『自分のできることはごく一部なんだ』ということです。ここまで、実に10年近くかかりました。これが、『一人前』という定義だと、当時私にそのことを言った先輩は言いたかったのかもしれません。
そして、自分のできることはごく一部だからこそ、足りないところは他者の助けを借りたりすることも必要です。連携の必要さも、改めて認識しました。
自分が『これだけできる!』ということを知るのが1人前なのではなく、『できないことを知る』のが『1人前』なのかもしれません。
そして、プロかどうかという議論に関しては、知識と経験の二刀流で道を歩むことが、プロになるための道と言えるのかもしれません。
ありがとうございました!
『プロ』かどうかよりも『風呂』が大事だわね。早く準備しなさいな。