発達障害児・自閉症児とスマホについて【6つの視点】

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私は療育の場にいますが、スマホの利用に関しては、近年急激に相談件数が増えました。子どもとスマホ、特に自閉症含む発達障害児とスマホの付き合い方、与え方やタイミングについて悩む親御さんが多いと感じます。

 子どもとスマートフォン、またはタブレット、ご家庭ではどんな使い方をしていますか?いつから使ってもいいのか、どんなタイミングで持たせたらいいのか、または、すでに手放さなくて困っているなど、様々な悩みを聞くことが増えてきました。

 本記事では、発達障害や自閉症とスマホについて、実際の声や実践として取り入れたことを吸い上げて解説をしています。

 発達障害や自閉症の特性とスマホの関係とは?文明の利器は存分に使って、それ以外で考えられる、子どもにとって必要な経験とはなにか?そして、どんな風にスマホやタブレットと付き合っていけばいいのか?それを一緒に考えていきましょう!

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子どもとスマホの関係を考える前に

 現在、とても便利な時代だと感じます。スマホで調べ物は出来ますし、こうしたブログにもアクセスできます。ワンタップで得られる情報量に、我々も追いついていないのかもしれません。

 便利すぎるがゆえ、「子どもには規制」なんて動きも見られます。そして、『スマホ子守り』なんて言葉が、否定的に報道されている様子からもそれは伺えます。

 なぜ否定的に捉えられるのでしょうか。それは、まだまだ未知のものだからだと私は思います。だからこそ、スマホが持つ特性やどんな効果が考えれるか、我々も知らなければならないと思います。

 果たして、スマホは子どもにとって悪いものなのでしょうか?すばり答えはノーだと私は思います。ただ、スマホと上手に付き合っていくことが前提となります。なんでもかんでも与えていたら、それはちょっとまずいのかもしれません。この記事では、そんなところを考えていきます。

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1つ目の視点~スマホの特徴を知ろう~

 スマホとの付き合い方を考える前に、スマホのことをよく知らなければなりません。そこで、まずはスマホが持つ利点、特徴を挙げてみたいと思います。以下の三つが挙げられますが、いかがでしょうか?

たくさんおもちゃを買わなくて済む(アプリを入れたらだいたいOK)
持ち運びができる(居間でも寝室でも、野外でも扱える)
子どもの手のひらサイズ(いつでも持っていられる)

この特徴、ずばりスマホの利点だと思いますが、子ども的にはマイナスポイントでもあります。この3つの共通点はなんでしょうか?

スマホ一台あれば、どこでもどんな場所でも遊べちゃう可能性があること、だわね。

当たり!スマホの便利さゆえ、生活の中のどの箇所にも溶け込んでしまう可能性があるのです。つまり、使用のメリハリが付けにくいということです。

便利だけど、そのぶん生活の一部になる危険性もあるということだわね!

 ここで挙げたように、便利があるが故に、スマホやタブレットが生活の一部として溶け込んでしまう可能性があることがわかりました。これに関しては、後述の『ご家庭でのルール』を参考に、上手な距離感を見つけていってもらいたいと思います。

 ずっと持ち歩くことができる便利さはもちろん大事なことですが、子どもにとって必要な経験を阻むことになってしまっては本末転倒です。次のセンテンスでは、スマホやタブレットでは体験できない、子どもにとって必要な経験を解説します。

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2つ目の視点~子どもにとって必要な経験を知ろう~

 スマホアプリから得られる知的学習も多々あるかと思いますが、ここでは、「子どもにとって必要な経験」について知っていきたいと思います。

 結論から言うと、大切なのは目で見て、触れて、聴いて、感じる『直接的経験』です。幼児の頃だったら砂場で遊んだり、生演奏を聴いたり、プールに入ったりする経験。家族や友達と一緒に遊ぶ体験も大切です。これは、文字のとおり自分が直接かかわる経験です。

 『直接的経験』があれば『間接的経験』もあります。これは、自分が直接体験していない事柄を他の何かから得ることで、テレビがわかりやすい例でしょう。

 しかし、『間接的経験』が意味がないわけではなく、自分が体験できないことを、本で読んだりテレビを見たりすることで、知識や経験として獲得することもできます。これも立派な経験値になります。ただ、前提として『直接的経験』をきちんと積んでいることが必要になります。経験を蓄積する土台作りが大事ということです。

 もう一つ大事な点は、幼少期は皮膚刺激に勝る学習はない、ということです。指先から感じ取る温かさや冷たさ、または感触や感覚など、それ自体が大きな学習の機会(きっかけ)となるのです。どんなに熱中していても、魅力的でも、スマホやタブレットの画面から得られる皮膚感覚は、残念ながら乏しいと思わずにはいられません。

 ここで、 『センス・オブ・ワンダー』 という言葉をご紹介します。

  『センス・オブ・ワンダー』とは、レイチェル・カーソンという方の本です。自然などに触れて、感動する力のことを言います。彼女は、幼児期に必要なのは、『センス・オブ・ワンダー』であり、それは年をとったら感じることができないものだとしています。つまり、自然に触れて感動する力は、幼少期にしか養うことができないということです。

 これは、まさに『直接的経験』のことを指していると言えるでしょう。我々は、人間として大事なものを自然界から教えてもらうのです。その経験を積んでいるか否かが、その後の情緒的成長も含めて大事になると考えられています。

小さい頃にはじめて海を見た日のことを覚えています。波の音、目の前に広がる光景にただただびっくりして、私は泣いてしまいました。今にして思うと、それが『センス・オブ・ワンダー』だったのでしょう。

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3つ目の視点~スマホとセンス・オブ・ワンダーの関係~

 さて、ここでスマホに話が戻ります。ここまで読んでいただけたら、おわかりでしょう。スマホの利便性と、センス・オブ・ワンダー(直接的経験)は相性が悪いのです。自然を感じられる経験があったとしても、その場面でスマホが登場してしまうと、画面にくぎ付けになってしまう。テレビのように据え置きじゃないから、生活のあちこちに登場してしまう。

 直接的な経験をするためには、その前後も大事だと私は思います。前だったら、期待感というワクワク。事後だったら、そのことを身近な大人と共有したり、余韻に浸ったりすること。他者との情緒的な関わりとは、そういった気持ちの共有があってこそです。その場所に、スマホはいらないと思いませんか。

 逆に考えると、直接的経験の機会を阻害しないように、スマホと関わればいいということです。スマホも使いながら、意識的に直接的経験(自然を感じられるような体験)を増やしていきましょう。幼少期にしか感じることができない感覚を、たくさん味わってもらいたい!

 それでは、どんな関わり方のルールを設ければいいのか、以下のセンテンスで見ていきましょう!

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4つ目の視点~スマホとの関わり方について考える~

 ここでは今までご相談を受けて実践をしてきた中で、効果があったルール設定をご紹介いたします。主に、幼児~小学6年生くらいまでの方で、主に自閉スペクトラム症、発達障害児を対象としたものです。

① スマホの時間を決める(生活の中の順序に組み込む)
→一日の中で決まっている、忙しくなりそうな時間のみにする、など。
→〇〇をやったら、〇〇分スマホタイムなど。

② はじまりと終わりの合図を設ける
→決まったアラームを鳴らすなど、共通の合図を作ることでわかりやすく提示。

③ やる場所を決める。
→例えば、寝室や食卓ではやらないルールにするため、『やる場所』を提示。

 ①~③のルールを組み合わせてもいいですし、その子どもの理解度を加味してアレンジしてもいいかもしれません。 幼児~小学6年生くらいまでの方が対象としましたが、それより年齢が上でも十分効果が見込めると思います。

  これは、自閉スペクトラム症、発達障害児を対象とした支援としてはスタンダードなものですが、ご家庭でも我々支援者でも、決めたルールを徹底することが何より大事だと感じます。『今日はいいだろう』という大人のさじ加減にならないようにしたいものです。

 さて、ご家庭のルールを明確に設けることで、『子どもにとって必要な経験』をするときに、スマホに邪魔されることが減ると思います。そして、スマホの利便性をきちんと把握することで、その利便性に逆らうようなルール作りもしやすくなるでしょう。

例)持ち運びしやすい(利便性)→どこでも持っていってしまう(リスク)→使う場所を決めよう(ルール設定)

もちろん、設定したルールは、そのお子さんに分かりやすい提示方法で示すことが必要です。

 その他、YouTubeなど動画視聴の際には一緒に観て共感するなど、スマホを介しての関わりもあるといいでしょう。一人遊びの道具ではなく、他者とコミュニケーションを取りながら、スマホと関わることも考えていきたいところです。

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5つ目の視点~スマホ依存にならないために~

 例えば、水の流れをじーっと見つめることを好む自閉スペクトラム症児がいたとします。さて、その子はどんな風に水の流れを知覚しているのでしょうか。きっと、飽きずに見ることができるくらい刺激的なのだろうと予想しますが、それを我々が知るすべはありません。

 また、 自閉スペクトラム症児には視覚提示が有効だとされていますが、どんな風にそれを知覚しているか、考えたことがありますか?

 さらに、聴覚過敏のお子さんも、もちろん過敏という理由は当たり前として、『聴きたい音を選択できない』という症状の場合もあります。

 このように、発達障害と言われる自閉スペクトラム症児は、我々が普段感じている知覚と、全く異なった知覚の仕方をしている場合があるのです。ゆえに、少しの刺激が何倍にも響いたりすることも、あり得ない話ではありません。

 さて、スマホです。タップすると目からの刺激と聴覚の刺激を感じることができます。それも、一瞬で感じることができるのです。その刺激が、知覚に特性のあるお子さんにとってどんな効果をもたらしているのか。我々が想像するよりも、はるかに刺激的で、反復性のあるものかもしれません。そして、その刺激が病みつきとなり、万が一中毒と言えるような状態になったら…?

 もう一つ重要な視点は、タップすると即反応するというスマホの特性上、そのタップする行動を学習(獲得)しやすいという点があります。つまり、視覚や聴覚刺激(これが報酬となります)を得たいから、スマホをタップするという行動が促進されるということです。

 これはオペラント条件付けと呼ばれる、学習(行動を獲得する原理)を促す条件付けの原理です。子育てやしつけにも用いられる仕組みなのですが、パチンコやゲーム依存を形成してしまう可能性があるという指摘もなされています。

 このように、我々が考えているより、スマホやタブレットは刺激的なのかもしれません。そのあたりは、お子さんの様子を観察して、距離感を考えていきたいところです。


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6つ目の視点~遅すぎることは、決してない~

 「これだけ便利なものがあるのだから、早いうちから使わないと遅れを取るのでは?」
 そんな声もありますが、果たしてそうでしょうか。

 また、こんな声もよくあります。
 「まだいろいろ分かってないところもあるけど、スマホを扱えてすごい!」
 子どものできることが増えると嬉しいものですが、幼児期からスマホやタブレットの扱いに長けることが、『すごいことだ』と私は思いません。

 私の年代ですと、30歳を過ぎてからはじめてスマホに触れた方が多いと思います。使い方に迷いこそしたものの、「早くやってればよかった!」と思わなかったと思います。うちの両親も70歳過ぎてスマホにしましたが、上手に使っていますし、困ったという声は聞きません。

 つまり、一般的なスマホ利用であれば、早くても遅くても、使用感はそんなに変わらないのです。私だって、30数年間はスマホを使わなかったのですから。そして、スマホの特性上、直観的な操作である程度の扱いはしやすいのです。

 それよりも、小さい時は子どもらしい『直接的経験』をたくさんし、『センス・オブ・ワンダー』をたくさん感じてほしいと思います。もちろん、ご家庭の生活ペースやルールを鑑みて、便利なアイテムであるスマホやタブレットとも上手に付き合うことが大事ですね。

今ではスマホなしの生活は考えられません。だからこそ、付き合い方を考えたいです!

小さな画面も楽しいけど、大きな外の世界を見せてあげたいわね!

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本記事のまとめ

本記事では、自閉症(自閉スぺクトラム症)や発達障害を持つ児童と、スマホやタブレットとの関係について書きました。

 結論としては、スマホやタブレットが持つ特徴をよく知り、その上で子どもやご家庭に合ったルール作りが必要だということです。そして、子どもらしい経験を積むことができるよう、働きかけていくことも必要だと考えています。

 生活のあらゆる場面に溶け込んでいるスマホやタブレットとの付き合い方、与え方について、考えるきっかけになれば幸いです。

支援力をつける人財
ケニー

福祉事業所にて、療育、生活支援、余暇支援など直接支援や、相談支援専門員など相談職の経験を積み、現在も福祉に携わっています。その過程で2校の通信専門学校へ通い、福祉の資格取得もしてきました。仕事と家庭生活の両立を目指しています。

また、複数の法人立ち上げの経験から、福祉職としての働き方や組織作りにも積極的に取り組んでいます。

ブログでは、資格取得の道のりや勉強のノウハウ、そして福祉職として働いていくためのマインドを発信しています!
勉強のちょっとした小技や役に立つこと、その他実際に私が体験したことなどをお伝えしていきます。

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