療育と生活支援【児童発達支援・放課後等デイサービス】

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指導・支援・療育…混在して独り歩きする言葉たち

 今回は、「療育」について考えてみたいと思います。しかし、一概に療育と言っても捉え方や提唱している人や施設によって定義は様々です。その中で、何があっているか間違っているかという話ではなく、もう一度「療育」という言葉を見直してみたいと思うのが、今回の記事です。

 まずは、過去記事ですが、以下の記事をご覧いただければと思います。これは、指導と支援の違いについて書いたものです。

 ここで、支援と指導という言葉の位置づけについて、イメージしておいてください。

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療育とは?

 そして、「療育」です。この言葉は、「治療」または「医療」と、「教育」を合わせた言葉と言われています。私たちがイメージする「治療」または「医療」と、「教育」は、近しいところがあると思います。どのような意味合いかというと、前者は「疾患」と言われる「体の不調」を「治す」こと、後者は「教える」ことで「成長を促すもの」とされているからです。つまり、どちらも「今あるものから自身を変えていく」という意味合いが込められていて、それは「疾患」であればマイナスからのスタートという印象にも繋がっています。

 二つの言葉から作られた「療育」も、その前提を引きずった言葉であると同時に、そのような解釈をする支援者が一定層いることも想像できます。

 それは、先の記事で紹介した「指導」にも繋がるであろう考え方だと私は思っています。

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「療育」への違和感

 療育は、発達に遅れのあるお子さんには必要なものです。ひょっとしたら、大人にも必要なものかもしれません。それは、他者と関わり合い、その中で自分の立場や集団の中の自らの必要性を知っていく過程だと私は思っています。その感覚を持つと、どんな方でもグンと伸びていきます。伸びるのは、何も学力というわけではなく、元々本人が持っていたもの…例えばある技能や特技、性格的な「やさしさ」なども含まれると思います。

 しかし、例えば「学習支援」を軸とする療育施設があるとします。もちろん、それも「療育」として成立はすると思うのですが、「学習」だけにスポットを当ててしまうとどうでしょうか。

 「学習」はあくまでその本人を構成する要素の一つだと私は思います。それがその本人の全てのように考えて、療育という名のもとにかかわる支援者は、真の支援者とは言えないと私は考えています。

 私が常日頃思う「療育」への違和感は、そんなところにあったりします。

 例えば、「学習特化型放課後等デイサービス」があったとしたら…。そんなに学習支援に自信があるのなら、一般の「障害児向け学習塾」として経営すればいいと思っています。なぜ「福祉サービス」にするのか、私にはどうしても理解ができない部分でもあります。キチっと料金を取って、塾として勝負すればいいはず。それができないのは、何か引け目があるからだと思ってしまいます。

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生活支援と療育

 よほど酷いものではない限り、どんな内容であっても、「療育」と定義されると言えるでしょう。それほどに幅が広く、成長の可能性があるのが療育と言えるということです。

 しかし、「療育」を盾に、サービス利用に関して排他的になってもいけないと思います。それは、先の例だと「学習支援」を軸とする療育施設が、学習支援を希望する人だけを対象とするということで、それ以外のニーズを見て見ぬふりするということです。


 学習も運動もSSTも大事なのですが、やはりそれは生活あってのこと。私は、療育は生活支援だと思っています。そんな気持ちで療育をする施設がたくさん増えるように、心ひそかに期待しています。

 そして、保護者の不安をあおり、「療育」へと駆り立てるようなことが起こらないように。療育施設の質の問題は、そんなところにも隠れていると思っています。

支援力をつける人財
ケニー

福祉事業所にて、療育、生活支援、余暇支援など直接支援や、相談支援専門員など相談職の経験を積み、現在も福祉に携わっています。その過程で2校の通信専門学校へ通い、福祉の資格取得もしてきました。仕事と家庭生活の両立を目指しています。

また、複数の法人立ち上げの経験から、福祉職としての働き方や組織作りにも積極的に取り組んでいます。

ブログでは、資格取得の道のりや勉強のノウハウ、そして福祉職として働いていくためのマインドを発信しています!
勉強のちょっとした小技や役に立つこと、その他実際に私が体験したことなどをお伝えしていきます。

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