好きな人やモノに囲まれて暮らす~当たり前の暮らし~

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 福祉のサービスと当たり前の暮らしについて、漠然と考えてみました。

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当たり前の暮らしって?

 当たり前の暮らしを送る、という言葉があります。特に、福祉の現場に携わると頻繁に耳にする言葉だと思います。それでは、当たり前の暮らしという言葉を聞いてどんなイメージを持つでしょうか。

 この答えは難しく、かつ人によって異なる部分が大きいと思うのですが、私なら「床屋さんを選べること」と答えるでしょう。どのようなことかというと、自分の気に入っている床屋さんで髪を切ってもらいたいということです。これが、私にとっての「当たり前の生活」と言えそうです。

 この部分だけ取り上げると、「選択できること」が「当たり前の暮らし」と読み替えてしまいそうですが、私は少し違うニュアンスを持っています。

 それは、具体的に述べると、「好きな人と関わっていたい」ということになると思います。つまり、「あの人に髪を切ってもらいたい」と思い、それを叶えられることが、「当たり前の暮らし」ということになります。

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付き合う人を選ぶこと

前述のとおり、私は好きな床屋さんを選んでいます。それが当たり前だからです。わざわざ嫌な人に髪を切ってもらう理由が何一つないからです。

 そう考えてみると、私は多くの人を選んでいることに気が付きます。

 ・友人関係
 ・お気に入りの喫茶店
 ・床屋
 ・気持ちの良い店員さんのいるマック
 ・整骨院
 ・職場

 どれも共通するのは、自分にとって快になる人がいることです。そう、自分で選ぶことができているのです。わざわざ不快になる必要がないので、いい人を選んで付き合っています。疑いようのなく、それが「当たり前」だからです。

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福祉サービスと人間関係

 福祉サービスは機械相手ではなく生身の人間を相手にするので、対人関係がなによりも大事な事柄となるでしょう。サービスの質の大部分を占めるのは、技術に合わせて、その人の人間性によるものが大きいと思います。

 ここで、私も常日頃から思っていることがあります。それは、「利用者の生活を支えるために、そして継続するために、いろんな人が関わっていくのが望ましい」という考えです。

 これは、現時点でも間違った考えだと思っていません。

 ところが、ある日ふと思いました。「利用者さんだって、付き合いたい人と付き合いたいよなぁ」ということです。

 施設でも、個別支援計画に掲げたりします。「多くの人とコミュニケーションを取ろう」なんて計画もあるでしょう。さて、それは本当に本人が望んでいるのかどうか。本当は、限られた好きな人とだけ関わっていたいのかもしれません。

 ただ、それだと「利用者の可能性を狭めている」という理由で却下になりそうです。あくまでも、「可能な限り多くの人と関わる」というのが先行しそうです。

 いいとこどりをするとしたら、関わる多くの人が、もれなく利用者の「好きな人」であることです。少なくとも、嫌な人と付き合う必要はないはずです。

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必要不可欠な「生活支援」

 その利用者にとって、必要不可欠な支援…それが福祉サービスで補われるわけですが、それこそ誰でもいいわけではないと思います。例えば、私が高齢者になったら、自分の好きな人に介護されたい。それはわがままなことでしょうか。

 必要不可欠なことだから、不測の事態に備えて「多くの人が関わる」ことでその支援が欠けるリスクを回避しようとするのもわかります。むしろ、その考え方のほうがスタンダードとも思います。

 ただ、なんとなくしっくり来ないのはなぜでしょう。

 好きなものを食べたい、好きな時間を過ごしたい、好きな場所で活動したい…それらは比較的叶えられるように努力される事柄のように思います。ただ、「好きな人と過ごしたい」となった途端、それは一気にハードモードになるように感じます。この辺りに、何かポイントがありそうです。

 「生活を支えてもらっているんだから人なんて選ぶ余地なんでないでしょう」「わがままだ」「贅沢だ」「誰だって嫌な人と付き合うんだから我慢しなきゃ」「依存心が強いからだ」

 思いつく限り、反論を挙げてみました。あれれ、「福祉サービス」ってそんな苦痛を伴ったり、我慢して使わなきゃならないものでしょうか。本人にとって、より快を追及したいと思うのは自然な気持ちだと思いますが、いかがでしょうか。

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難しく考えないでもいい

 私は、好きな人やモノに囲まれて暮らしたいと思っています。それが当たり前の暮らしだからです。

 私にとっての床屋もそうですし、整骨院もそうです。それらと福祉サービスの違いが掴めそうで掴めない部分として確かにあるのですが、そこに福祉が純粋なサービス業になり得ない理由が潜んでいるようにも思います。

 福祉の事業所としては、社員の支援技術の向上を図り、その質を高いレベルで一定にさせることは必要なミッションだと思います。そのうえで、利用者さんが付き合いたい人を選ぶなんてことがあってもいいのではないかと思っています。

 ふと、関わる職員やヘルパーの指名制なんて、今後はもっとあり得るのではないかと思ってしまいました。

 措置から契約に、利用者が事業所を選ぶことができるようになってもうすぐ20年。さて、利用者が人を選ぶことのできる時代は来るのでしょうか。

支援力をつける人財
ケニー

福祉事業所にて、療育、生活支援、余暇支援など直接支援や、相談支援専門員など相談職の経験を積み、現在も福祉に携わっています。その過程で2校の通信専門学校へ通い、福祉の資格取得もしてきました。仕事と家庭生活の両立を目指しています。

また、複数の法人立ち上げの経験から、福祉職としての働き方や組織作りにも積極的に取り組んでいます。

ブログでは、資格取得の道のりや勉強のノウハウ、そして福祉職として働いていくためのマインドを発信しています!
勉強のちょっとした小技や役に立つこと、その他実際に私が体験したことなどをお伝えしていきます。

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