はじめに
当ブログをお読みいただいた方からご質問を受けました。内容は、『相談援助職に介護経験は必要なのかどうか』というものです。
ブログ内で回答可能(むしろご希望)ということでしたので、記事として書いていきたいと思います。
質問
Twitter、ブログを読んでいます。
以前、「相談職に介護経験は必要ない」というツイートに共感し、以後フォローさせてもらっています。
しかし、最近のブログでは「介護は必ずしも身体の介護だけではなく、その人の心、社会に繋がる活動、そして人生のサポートという面も含まれている」や「身体介護は身体の介護だけではなく、その人の心に触れる部分もあり、そして生活の困りごと、家族関係、制度の運用にも触れることがあり、相談援助の一部を十分に担っている」ということを書かれています。(ブログから引用)
これは、「相談援助職は介護経験が必要だ」とおっしゃっているのでしょうか。
なお、私は相談支援を目指していますが、介護はやりたくないと思っています。よろしくお願いします。
(原文を損なわないよう、分かりやすい表現に変えています)
いつも、ありがとうございます。
少し前のツイートから最近のブログまでご覧いただき、大変恐縮です。以下、回答とさせていただきます。
介護の経験について
私は障害福祉分野が専門ですので、障害福祉分野の介護職と相談援助職ということで書かせてもらいます。
まず、過去にツイートしたことと、ブログで書いたことはどちらも同じ気持ちから書いています。
前提として、相談援助職を目指す方に、介護の経験は必要ないと思っています。相談援助の技術と、介護の技術は異なるからです。
社会福祉士の実習などでも、介護経験を積むことではなく、実際の相談支援の場を経験されるといいと思っています。
今では、介護経験を積むような実習はほとんどないと聞いています。
経験が相談の場で活きたこと
ただ、私の場合、障害のある方の介護経験から、「身体介護を提供する中に存在する困りごとは、相談援助に通ずるのではないか」と感じただけです。それが、たまたま自分が相談支援専門員となったとき役に立ったということです。
どんなときに役に立ったかというと、利用者・家族から『どのサービスが本人に適しているか』という相談があった場合でした。
つまり、介護技術の習得が相談援助の場で役に立ったのではなく、その現場を知ることで、その利用者さんがどのサービスで本人らしくいられるのか、想像力に膨らみを持たせることができたということです。
障害福祉サービスにおいては、必ずしもそうだとは言えませんが、相談をした人が悩みを解決したときは、その人がサービスに結びついた瞬間です。
例えば相談を受けて決まった給付金の手続きをする、または相談を受けて、誰が利用しても同じ成果の出る施設(手帳判定のために用いる児童相談所など)を紹介するという相談もあります。これは、介護の経験がなくても差し支えの無い(と思われる)相談援助の部類です。
もう一つ例え話をします。
弁護士さんに法律相談をするとしましょう。すると、弁護士さんは私たちが挙げた問題について、法律を根拠に回答をしてくれます。『法律を根拠』という部分がポイントで、それはその弁護士さんの知識や引き出し、解釈にもよりますが、一つ揺らがない部分です。
しかし、現状の障害福祉サービスにおける相談職として活躍している相談支援専門員が受ける相談は、『障害』という誰一人として同じケースがない相談であるため、その人がどんな場所でどんな風に過ごすことができるのか、イメージが沸かないとどうしようもありません。
私の場合は、現場での経験が、そのイメージ作りに一役買ったということになります。
つまり、利用者さんや家族と、『イメージの共有』ができたとき、いい結果を導き出せたように思うということです。
こんな経験はありませんか?
行政機関に相談した時、話がうまく伝わらないことがあります。そんなとき思うのは、『役所の人は実際を知らないからね』というこちらの諦めです。
イメージの共有ができないから、こちらの相談が無駄と感じてしまう場面です。
生粋の相談援助ができる人もいる
ところが、現場経験がなくても、介護経験がなくても、とても上手くやっている相談員がいることも事実です。
彼らは、非常に貪欲で、必要があればいろんなサービス事業所に飛び込んで、上手に情報を吸収して利用者に還元しています。
そして何より、我々現場の人間をリスペクトしてくれる姿勢が伝わってきます。だから、いい情報や手段がたくさん集まってくるのだと思います。
この様子を見ていると、『介護の経験は必要ないんだ』と思いますが、私はそんな風に思い切った行動はとれないタイプなので、現場での経験を活かしながら、相談支援をしていくタイプだと思っています。
生粋の相談系と、折衷の相談系がいるようなイメージです。
どちらも、必要だと思います。
リスペクトを欠いたら…?
そんな中、一番良くないのが、お互いの立場を尊重できない人たちです。先に『リスペクト』なんて言葉を用いましたが、相談と介護の関係で言えば、『身体介護なんて私たちがやることじゃない』と思う人も、存在するのではないかということです。
質問者さんの意図はわかりかねますが、『介護がやりたくない』という気持ちの中に、介護職を下に見ているという意識はありませんでしょうか。
これは、特に一部の福祉を志した方にありえるかもしれませんが、福祉=相談室で面談、というイメージが先行しているのではないかということです。
そのイメージを追い求めすぎるがあまり、『介護はやりたくない』という気持ちになっているのではないかと思います。
(以下に一つ記事を貼っておきます)
そのため、『介護は自分の仕事じゃない』と感じてしまうのかもしれません。当然、お互いに対して尊重(リスペクト)する気持ちが欠けているので、すぐに見抜かれてしまうことと思います。
『介護は自分の仕事じゃない』ということは間違いではありません。なぜなら、『相談援助』が仕事だからです。
でも、介護の仕事自体をリスペクトする気持ちはご自身の中にあるのか、もう一度考えてみてもいいのかもしれません。もしその気持ちがないのであれば、やや厳しい物言いになりますが、相談職は難しいかもしれません。
なぜなら、いろんな立場の人と連携して、一人の利用者さんを支えていく仕事だからです。
自分のやりたいことを純粋に追求するのと、自分がやりたくないものを除いて残ったものを、自分のやりたいこととしてやるのでは、大きな違いとなるでしょう。
ここまでで、回答は終わります。
あと少しだけ続きます。
相談援助に向かう、3つの道
ごく個人的な見解ですが、相談援助職に向かうには3つの道があるように感じます。
一つは、私のようなタイプです。これは、現場の経験から相談の必要性を感じて相談援助職になったパターンがあります。
その法人内で、異動を経て、経験も加味されて、相談職に就くイメージでもあります。障害福祉の相談支援専門員では、このパターンが多いと思います。
もう一つは、先に述べた生粋の相談タイプです。迷いなく相談援助の場にいて、周りを巻き込みながら上手に仕事を進めていくイメージです。
もちろん、周りへの配慮やリスペクトも欠かさない印象です。障害福祉の相談支援専門員では、最短の現場経験で、相談員としてのキャリアの方が長い人もいると思います。天性タイプかもしれませんね。
最後に、福祉の仕事に興味があり、自分の良さや特性を活かすことができるのは相談援助職だと思っている人です。このタイプだと自覚されている方は、『相談援助職の人は優しい』と思っている側面も否定できないのではないかと思います。反対に、『現場の介護は厳しい人が多い』という印象かもしれません。
それが、『介護職はやりたくない』という気持ちに繋がってしまうような感覚も覚えます。
そして、ご自身の理想の職場(許される職場)を求めて、転々としてしまう印象もあります。いい人材=人財になる可能性もあるのに、もったいないように思います。
『相談援助職の人は優しい』という印象自体が誤りで、仕事となれば当然厳しくもなります。そのギャップが埋められず、福祉から去ってしまう方も、少なからずいると思います。
私は、自分の心の奥底でどんな気持ちを抱きながらこの仕事をしようと思っているのか、時間をかけて見つめなおすことが必要だと思います。
多くの気づき、そして自分の中の葛藤、矛盾にぶち当たったとき、どんな風に昇華していくのか…経験として無駄はないですし、どんな経験であっても、相談職になったとき、より相談技術を熟成させる要素になるかもしれません。
そもそも、『自分の良さや特性を活かすことができる』という考えは、『ひょっとしたら自分は相手の事を分かってあげられるかもしれない』というおこがましさに繋がってしまうこともあり得ます。
生まれ持った特性で、他者を理解できる人なんていません。みんな努力して、自他ともに向き合って、ときに辛い思いをして、そして感情が揺さぶられる経験を積むことで、他者理解のきっかけをほんの少し掴むくらいしかできません。
もちろん、嫌な気持ちも、邪な気持ちもあるかもしれません。ただ、利用者さんもご家族も、同僚も他の関連職種も、等しくリスペクトする気持ちがないとならないと思っています。
今回は、相談職と介護経験のお話しから、そんな風に結論付けます。
素敵な相談員さんが一人でも多く誕生しますように。
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